こんにちは。翠光堂です。
浄土真宗の本願寺津村別院・大阪教区教務所が出版されている「御堂さん・MISOSAN」毎月発行されていて、僕らも楽しみに拝見しております。仏教や宗派、各行事や時事にも触れられ、その物事に対する考え方に触れることができ、いつも勉強させて頂いております。
今回の八月号は、「’24おBON読本」と題されて、色々お盆に交えた特集記事が組まれていました。その表紙の裏に書かれていた「仏事の小箱」のコーナーに盆提灯の事が書かれていました。
要約して書きますが、筆者のご住職は、盆提灯は必要ですか?という質問にその都度「別に必要はありません」お答えされていた。でもある方が、ご友人から提灯を送られ、その提灯を出しても構いませんか?とまたご質問されたそう。それに対して「全然、構いません」とお答えになったそうです。
(本文より)
要するに、提灯を出すという意味を取り違えないことなのです。
何故、盆提灯の必要がないのかと言えば、一般に盆提灯は、お盆に帰ってこられるご先祖の目印だとされているからですが、浄土真宗は、お盆の期間だけ、ご先祖が、この世とあの世を往来されるという考え方をしないからです。
浄土真宗のお盆は、お念仏の声となって、いつでも帰ってきてくださっている、ご先祖に感謝する期間です。そんな感謝の念い(おもい)を提灯の明かりに託すのは、間違いではありません。
僕ら、提灯を販売する立場からしても、とても印象的なお話です。浄土真宗のお客様もお店に提灯を求めに来られます。必要ですか?と聞かれたら必要ではありませんとお答えしますが、わざわざお店に来られて、提灯を見てみようとお考えになられたお客様を慮り「浄土真宗のお客様でも、提灯を飾られる方は多くありますよ」とはお答えしますが、そのくらいの言葉しか出ませんでした。でも心の中では、もっと上手く表現できないか、欲しいと思っておられる背中を押せないかと思っておりました。次回からは↑↑のお言葉をお借りして、お客様とお話できればと思います。
物を売る商売ですので、お買い上げ頂けると勿論嬉しいですが、こういった季節の行事やそれに用いる仏具を通して、故人様やご先祖様に思いを寄せる機会と思って、商品を手に晴々とした表情でお帰りになるお姿を見れる事を嬉しく感じています。