こんにちは。翠光堂です。
懇意にして頂いているご寺院様主催で、檀家様と行く高野山は奥之院への参拝。コロナの影響で数年間お休みされていましたが、今年は晴れて再開!急遽ではありましたが、僕もお声がけ下さり、一緒に参拝させて頂きました。
因みに、コロナ前は何度も同行させて頂きました。一回目、二回目、三回目
壇上伽藍にある大きな建物「金堂」高野山内でも最古の歴史を持つ建造物。
根本大塔。本尊の胎蔵大日如来を中心に4体の仏像が囲み、16本の柱にはそれぞれ違う菩薩さまが描かれ、四隅の壁に密教を伝えた八祖が描かれ、立体の曼荼羅が構成されています。とてもスケールが大きく圧巻です。
六角経蔵。鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。塔の下の方には、人のお腹あたりの高さに大きな取手が出ていて、これを押して一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれています。同行した檀家様から白羽の矢が立ち、一人で一回りしてきました。中々な運動ですw
今回は高野山真言宗の総本山・金剛峯寺も拝観することができました。
金剛峯寺(こんごうぶじ)とは元々、高野山全体を指す名称だそうです。高野山にある幾多の寺院は、神主さんが主となる寺院もあり、神仏習合が成されていたのですが、明治政府が神仏分離令を出し、混在しているのならば神社として定めるとお達しがされました。それに高野山の多くの僧侶が異議を申し立て、現在の金剛峯寺を真言宗の本山として定める事で、仏教としての歩みを続けたそうです。
これは、奥の院のガイドさんに教えて頂いた歴史で、その歴史が長い分、様々な困難苦難を乗り越えて今があるんだな~と感じました。そのガイドさんのお話の中で、織田信長に高野山が焼き討ちされそうになった話とかもあって、これまた興味深い歴史だなぁと思いました。