昨日の続きです。
お経は、西遊記のモデルとなった三蔵法師(玄奘三蔵)や多くの尊い僧侶の方々の命懸けの旅によって、日本に伝えられてきました。
インドから中国や朝鮮半島を経て日本へと伝来されましたが、
それぞれの土地の言語に翻訳される段階で、その土地の文化や信仰と融合しながら伝わってきたと考えられています。
日本に伝わったお経は中国大陸を通って来たため、ほとんどが漢字で綴られています。
仏教の教えは【八万四千の法門】と言われるほど、たくさんあります。
八万四千という数は、正確に数えた具体的な数字ではなく【無数】のというような意味です。
お釈迦様がさまざまな人の苦しみに応じ、医者が患者の病に応じた投薬をするように、その人にあった教えを説かれたので膨大な数となったそうです。宗派によっても教え(お経)は異なります。
お釈迦様は説法を受ける人の苦しみや資質などを見抜き、人それぞれにあった教えを説かれました。場合によって表面的には教え同士が相反し矛盾しあっていたりすることもあります。
このことはよく山登りに喩えられます。山の北側に居る人には『頂上に行くには南に向かいなさい。』と教えます。南側に居る人には『頂上に行くには北に行きなさい。』と指示します。相反する指示の内容ですが、頂上に行くという目的は同じということです。
仏教各宗派にはそれぞれに仏となるという共通の目標がありますが、その立位置が違うので拠り所にする教え(お経)にも違いがあるということになります。
日本には『大正新脩大蔵経』という書物があります。日本に伝わった漢訳仏典の全てを可能な限り集約し刊行された仏教経典総集編のような書籍です。もちろん、びっくりするほどの膨大な冊数で構成されています。